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ブラマヨ吉田敬パチンコと歩んできた人生!嫁や子供は?60代女性よしことは!?

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こんにちは@PERORIN02です。

今回はお笑いコンビ『ブラックマヨネーズ』の吉田敬さんについて書いていきます。

ギャンブル好きで有名な吉田さんの経歴を詳しくご紹介していきますので、お付き合いよろしくお願いします。

 




 

吉田敬プロフィール

 

 

芸名 吉田敬(よしだたかし)
生年月日 1973年6月27日 46歳 2019年11月現在
血液型 A型
出身 京都府
本名 吉田敬
所属 よしもとクリエイティブ・エージェンシー

 

吉田敬さんは家庭の事情で親元を離れ中学1年まで祖父母の家で育てられます。

その後、地元の京都市立日吉ヶ丘高校を卒業しますが、そこから大阪で約2年間フリーター生活を送ります。この2年間で仕事を約10か所ほど渡り歩きますが、その中にパチンコ屋の店員も含まれていました。

吉田さんのパチンコとの出会いは10代の半ばでビギナーズラックで勝ってのめり込むというありがちな理由ですが、ここから吉田さんとパチンコの切っても切り離せない人生がスタートします。

高校時代はスロットでモーニングを取りに行くために開店前に並ぶ事を繰り返していたせいで高校の単位が足りなくなる寸前までいったりと、この頃から相当なハマりようだったみたいですね。

当時はホールの店員さんもお客さんも怖い人だらけだったようで並びの時に吹っ飛ばされたり、台を叩こうとしているのを見られて店員さんに事務所に連れて行かれビンタされたりと今では想像できないような時代だったようです。

 

芸人になるまでの2年間

 

高校を卒業した時に同級生と「吉本に行こう」という話はしていたそうですが、その同級生が急に芝居の道に進みたいと言い出し、途方に暮れた吉田さんは前述の通り2年間様々な仕事を渡り歩きます。(この同級生は現在放送作家をしていてブラマヨとお仕事をする事もあり仲は変わらず良いみたいですよ。)

パチンコ店の店員をしていたと書きましたが給料が良く、この時の先輩に沢山の遊びを教えてもらいますが、遊びを覚えたせいで自身には様々な災難が降りかかる事に…

まずはキャバクラで1人の女性にハマり通い詰め100万円つぎ込みますがキスしか出来なかったこと。

次にテレクラで40代の女性と待ち合わせして、いざ行ってみると内田裕也さん似の60代の女性でどうしようか迷うも電車賃やバス代の事を考えたら、このまま帰るのが勿体なく、その60代のよしこと名乗る女性に「俺よしこちゃんを抱きたい!」とアタック。よしこさんは「何ではよ言うてくれへんの?」という意外過ぎる言葉を返してきて二人は結ばれる事になります。

吉田さん曰く今まで同年代の女性との経験はあったけど、どこかカッコつけながら行為に及んでいたそうですが、よしこちゃんには別に嫌われてもいいからという事でやりたいようにやっていたらしく大満足したそうですよ…笑

しかし、ホテルの部屋を出た時に吉田さんは廊下で同世代のカップルとすれ違い、そのカップルを見た吉田さんは自分が60代の女性を抱いてしまった事を後悔し自己嫌悪状態に陥ります。自分の唾を呑み込めない状態で1週間過ごし、こんな人生嫌だという事で芸人の道をもう一度目指す決心をします。この時19歳。

 

売れない期間はパチプロ

 

芸人をもう一度目指す事を決めた吉田さんは1998年に小杉さんとコンビを組み『ブラックマヨネーズ』を結成しますが直ぐに売れる訳もなくアルバイトをしながら生計を立てていました。アルバイトから帰ってネタを考えようと思っても疲れていて考える事ができず楽にお金を稼げる方法はないのかというところからパチプロになるという選択をします。

どうやったら勝てるか考え、回る台を打てば勝てる可能性が上がるのではないかという事でゲームセンターのパチンコ台はパチンコ店の台より回るから徹底的に調べてみようという事でゲームセンターでデータ取りをしていたみたいですね。普通の人では絶対に思いつかない発想で凄いなと思います。

努力が実ったのかパチンコ店で1日10時間、月に20日稼働し勝てるようになったとのこと。パチプロ生活で金銭面は安定しますがパチンコにハマり過ぎて結局ネタを考える事はできず、このままではマズイと感じ漫才をきちんとやろうと心に決めます。

パチプロの方に多いですが興奮も無く、ただただ怠い作業をこなしているだけという感じになってしまったようですね。この頃はパチンコのハンドルに10円玉を挟んで右に捻る簡単な作業を怠く感じ、朝布団から出れないという末期症状だったみたいですよ。

漫才に全力投球するようになってから徐々に頭角を現し2005年のM-1グランプリ優勝で一躍有名になり一発屋では終わらず寧ろM-1優勝からどんどん仕事を増やし今では芸人の中でも確固たる地位を築いてらっしゃいます。

 

ガケっぱち!!をやるようになったキッカケ

 

吉田さんは芸人として売れてからもパチンコ番組を視聴してたようでパチンコ番組をやる事に憧れを持っていたそうです。

『ガケっぱち!!』も自分発信でやりたいと言ったそうで持ってきた企画に駄目出しをするほど本気でやっているとのこと。

パチンコ専門番組の視聴者が嫌がるような事は全て却下しライターさんを必ず出演させる事と本気度を出すために全く売れていない貧乏芸人を起用する事は吉田さんが考えられたみたいですね。ガチプロでもありパチンコ愛も強い人ですから視聴者の立場になって考える事ができるのでしょうね。

ういちさんとも『ブラマヨ吉田とういちの男舟』という競艇番組をやられていますし競馬もお好きという事でギャンブル全般やられますが過去には怪しい攻略本に手を出して騙された事もあるらしいですよ。

競馬の攻略本で最初の数ページだけ攻略法が書いてあり残りのページは全てメモ帳になっている物や屋台で売っている必勝電卓という何とも怪しげな商品をサクラに騙されて購入したりとガチプロをやっていた人とは思えないくらいおっちょこちょいな部分もありますが、こういう部分が吉田さんの愛されるキャラなのかもしれませんね。

 

ギャンブルを続けるのはただ勝ちたいだけではなく自分の意思を貫き通したいからだそうで、それで負けても色々な知識も付くし良いものを見れたなどお金では負けてもトータルで得られるものはプラスの部分が多く今でも楽しんでやっているそうです。ただ自分を貫き通すのは苦しさもあるようですね。

吉田さんのギャンブルに対する価値観やパチンコと自分の人生について非常に面白く書かれている著書『人生は、パチンコで教わった。』を出されてますので興味のある方は一度読んでみられてはいかがでしょうか?

この記事で多少ネタバレしている部分もありますが読み始めると一気に読めてしまうほど面白いのでオススメです。

 

 

結婚

 

こんな波乱万丈というか面白い人生を歩まれてる吉田さんも2013年にご結婚されてお子さんもいます。お相手の方は看護師をされていた一般女性とのこと。

ご結婚前は合コンやナンパが好きだったようで大阪の戎橋(通称ひっかけ橋)で最年長でナンパをしていたらしく『橋のおじさん』と呼ばれバカにされていたそうです…笑

食事中に橋を通る女性を逃したくないので橋の上でおにぎりを食べながらナンパするほど貪欲だったみたいですね。

吉田さんは吉本ブサイクランキングで過去2度の2位を獲得されるなどモテない芸人の烙印を押されますが顔自体が特別悪いという訳ではなく、やはりニキビ跡のブツブツが目立つからそういう印象になっていると思います。

中学生の頃にニキビができて悩み、通販のニキビ消しローラーで一気に潰したのが原因のようですね。上手くケアしてれば今みたいなブツブツにならず済んだでしょうが、そういう事に無頓着な時代だったのかもしれません。顔だけでなく全身金属アレルギーで肌が弱く想像できないくらいあ長いトランクスをおへその辺りまで着用されています。ベルトのバックルが直接肌に触れないよう苦肉の策でやっているんだとか。

 

Twitter

 

ブラマヨ吉田敬さんについて書いてきましたが、いかがだったでしょうか?

『人生は、パチンコで教わった』という著書のタイトル通りの人生を歩まれてると思います。10代半ばからパチンコ打ち、パチンコ店で働いたのをキッカケにキャバクラやテレクラにハマり、パチプロも経験し、パチプロに没頭し過ぎて芸人として中途半端になりかけたりしもますが、芸人として大成功されても未だにパチンコを含めギャンブルが大好きで、どこか親近感が湧く部分があり好感が持てます。

本業は漫才師でしょうがギャンブル関係のお仕事でも、もっと活躍される姿を見れたらなと思います。これからも頑張っていただきたいですね。

Twitter:@bmyoshida

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