こんにちは@PERORIN02です。
今回はパチンコライターでありパチプロでもあるモデル・オノさんについて書いていきます。
バラエティー系の番組には殆ど出演されないので経歴など知らない方も多いと思いますが詳しくご紹介していきますので、お付き合いよろしくお願いします。
モデル・オノ プロフィール
ライター名 | モデル・オノ |
生年月日 | 1968年10月23日 55歳 2023年12月現在 |
出身 | 三重 |
本名 | 小野寿政 |
所属 | パチンコ必勝ガイド |
身長:180cm
モデル・オノさんは名古屋の大学を5年間掛けて卒業されます。
大学時代の後半はパチプロとして稼いでいたそうですが愛知県のホールの換金ギャップに嫌気が差し一時パチンコと距離を置きます。
大学卒業後、就職の為に上京しコンピューター関係のお仕事に付かれますが東京は等価交換のホールも多く会社の先輩に誘われて打ちにいくようになりますが、パチプロをやっていたオノさんからすると勝てないのによく打つなと思いながら付き合いで打っていたそうです。
27歳の時に仕事に対してのセンスが自分には無いと感じた事と人間関係が面倒になり転職を考えますが自分には何のスキルもないと思い、偶々手元にあったパチンコ必勝ガイドを読んでいるとスタッフ募集という記事を見つけ自分のパチプロとしての経験を活かすべく編集の面接を受けにいきます。
しかしパチンコ必勝ガイドの社員登用は当時26歳までだったようで履歴書を真面目に書いたオノさんは「何で嘘を書かなかったのか?」と逆に聞かれてしまったんだとか。
結局、編集には入れずライターなら仕事があるという事で仕事内容を説明してもらい何となく出来そうという事でライターとして働く事にします。
ライターとして文章を書いてみるとコンピューター関係の仕事では感じられなかった「自分に向いている」という感覚が芽生えで良い仕事に巡り合えたと感じたそうです。
最初はホールで新台のデータ取りをしデータをまとめて記事にしていたそうです。しかし、辞表を出したにも関わらずコンピューター会社を辞めさせてもらえない事からライターとサラリーマンを1年半兼業でやらていたそうです。当然サラリーマンの仕事で大部分の時間を拘束されるのでライティングの仕事は月に2~4ページほどしか出来なかったようですね。
ライター歴は2022年現在26年と大ベテランの域に達してらっしゃいます。
パチンコパチスロ二刀流プロ!?
オノさんはパチンコ必勝ガイド所属でありパチプロですがパチスロも相当お好きなようでパチンコを打った後にパチスロを打つという立ち回りも結構されるそうです。特に以前はパチスロのほうが安定していたので、かなり打っていたとの事。コラムにもよくパチスロの話を書いておられました。
パチプロの方は基本ボーダーを大きく超えていれば、どれだけハマろうとも機械のようにただ回し続けるという人が多いと思いますがオノさんはハマれば嫌な気分にもなるし何も感じないというタイプではないようです。しかしパチプロなので大きくハマった後は期待値を稼いだと自分を納得させないとやってられないみたいですね。
月に20日以上はプライベートで稼働しているそうですが大体生活できるギリギリくらいの額を稼いでいるそうです。先程も書きましたがパチプロで勝てる技量とノウハウを持ちながらもあまりストイックに機械的になり過ぎずに勝っている所が凄いですね。普通に前日飲んで朝起きれずフラっと昼頃からホールに行く事もあるそうですよ。
釘がガバガバでも、ある程度の出玉があると、これくらいでいいやという感じで止める事もあるらしく、ご自身でも本当はもっと頑張らないといけないんだけどねとおっしゃっていました。
こういう事ばかり書いているとオノさんがダメな人みたいな印象を与えてしまいそうですが、きちんと勝っておられますし知識も技量もシッカリあった上であまりストイックでないというだけですから勘違いされないようお願い致します。
パチプロでオノさんみたいなタイプの人って珍しいですよね?
「パチンコとパチスロどちらが好き?」という禁断の質問にパチスロと答えたオノさんはある意味凄いです。面白い人なんですね。
時給が安いパチプロ?収支ha?
釘を開けてくれているお店を探す努力はしていないそうで、まあまあの台で見つけて長く打つのが自分の生きる道だとおっしゃっていました。
オノさんに限らず全体的にそういう傾向にはあるそうですが、シッカリお店を探すガチプロはオノさんより時給が倍近く良いそうですよ。
2015年当時で時給が2000円弱で稼働が2000時間とおっしゃってたので少なくとも年間350万円以上は稼いでいたみたいですね。ストイックじゃないとか努力していないとおっしゃる割には凄く稼がれてますね。パチンコの良い所は台を見ればおおよその事は分かるという部分で500円も打たず良し悪しは分かるとの事。パチプロの方は皆さん「台を見れば設定が書いてある」とおっしゃいますが、パチンコを殆どしない自分には理解できない領域にいるのだなと感じます。
余力を残してこれだけのプラス収支を出されるという事は、やはり腕前は相当なのでしょう。朝一で行っても並びは嫌いなので開店してから入場するらしいですよ。
ライター名の由来
昔、増刊号でデジパチ必勝ガイドという雑誌があり、その中の『良妻賢母ダービー』という企画で奥様をお持ちのライターさんが集まって、その中で誰が勝つかという内容のものでしたが当時はまだライター名が無かったそうです。
企画参加の為に名前を決めなくてはいけないという事でオノさんの当時の奥様(離婚されてます)が元モデルだったのでモデルという言葉を使おうと決め、取り敢えずという事でモデル・オノにしたそうです。
あくまで取り敢えずというライター名でしたが、その企画を(故)田山幸憲さんが読んでいて知り合いだったオノさんと飲みに行く事になったという話を記事にする際、オノさんの事を良妻賢母ダービー以外の記事で初めてモデル・オノと書いた事で定着していったようです。
何度かライター名を変更しろと言われますが、よくしてもらった田山さんの事があるので変えにくく現在に至るまでモデル・オノで来たそうです。
一度だけ雑誌にプロとして顔を出して記事を書く時に『小野崎寿』という名前で書いた事があるそうですが、その時は全く世間に認知されなかったとの事。
モデル・オノのほうがインパクトありますもんね。
田山幸憲との出会い
田山さんとの出会いは、田山さんの手書き原稿の受け渡し場所である高田馬場の居酒屋さんだったそうですが、一度きちんと挨拶したいという事で原稿渡しの時に自分も連れて行って欲しいと頼んで付いて行く事になったようです。
原稿渡しの翌日も田山さんと一緒に打ちに行ったりして凄く仲良くなり毎日のように飲んだり麻雀したりしていたそうです。
田山さんは真面目だけど周りの明るいノリに合わせていける人だったようです。寡黙なイメージがあったので意外ですね。
田山さんは東大中退でパチプロをしていたという異例の経歴の持ち主で1989年からパチンコ必勝ガイドで代表作でもある『田山幸憲のパチプロ日記』の連載を開始します。非常に評判が良く他のパチプロから尊敬、共感され10年以上続く長期連載となります。
しかし、この連載は相当苦労が多く心身ともに蝕まれ2001年7月4日に舌癌により他界されています。連載中に勝つ為に何度もネグラ替えをしたそうです。
命日の7月4日は田山さんが好き好んで打っていた『ナナシー』とも読め運命的なものを感じますね。
オノさんと田山さんはパチンコの話はするけどお互いの考え方も違うし、そういう部分は議論せずパチンコ仲間であり飲み仲間という友達感覚が強かったそうですよ。
パチンコのガチ系は辛い?
数年前まではスカパーなどで常時レギュラー番組を持っていましたが釘の話がNGワード(釘調整は違法)になりパチプロであるオノさんは番組に呼ばれなくなったそうです。この話は和泉純さんが出演されていた最強伝説終了の理由でも書きましたが、違法なのに釘調整をしている事をスルーされてるのは納得いかないですよね。プロの方は違法な釘調整をされている台から良い台を見つけて打っているのに解説は出来ないなんて矛盾した話だなと思います。
ガチ系の番組は結構大変なようでパーソナルで出玉計算できなかった時代は技術介入で増やした玉を1個単位手作業で数えていたとの事。気が遠くなりそうですね。
その大変な経験があるので今はバラエティー系に呼ばれれば楽なので出演もやぶさかではないようです。
ガチ系のパチンコライターさんの活躍の場が減って寂しい気もしますが、その分稼働時間に充てれるので、ご本人的には良いのかもしれませんね。
Twitter・ブログ
モデル・オノさんについて書いてきましたが、いかがだったでしょうか?
現在でも命日には墓参りに行っているそうで田山さんとの出会いを非常に大切にされている事が伝わってきます。
ガチキャラながらどこか人間味があり、ただ機械のように打っているだけではなく気持ちの変動があるところが他のパチプロの方達とは違って魅力的なのかもしれません。
現在はライターとしての仕事よりもパチプロがメインだと思いますが、もう少し映像のほうで活躍していただけたら嬉しいですね。MONDO TVの守山実戦塾にも結構出演されますし、他の番組でも拝見できればなと思います。
オノさん現在はブログはやられてないようなのでTwitterアカウントだけ貼っておきますね。
Twitter:@modelono7
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